COFFEE COLORS ロースター&バリスタ

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2013年 06月 25日

第2話 カフェ&ベーカリーケリケリ誕生

キッカケは突然だった

剛氏の父親が経営する福島にある老舗の味噌醤油醸造会社を売却清算するとのこと
その際に1店舗の外食レストラン事業だけは息子の将来のために残したらしい

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私はこの話に何か運命的なモノを感じていた  あれは確か2006年の冬だった

仙台の業務用食品卸会社の商品部でバイヤーをしていた時、以前関東時代にお世話になった
大手醤油メーカーの本部長さんが訪問され「実は今度、こちらの会社も見ることになって」

頂いた名刺には福島の老舗醤油メーカーの取締役社長と書かれていた

あの時の買収先だったのか・・・

私は仙台の本社に移る前、福島のいわき営業所に居り郡山支店、福島営業所、会津営業所
は同じ管内にあり頻繁に出入りしていたので福島には妙に親しみと感じる

剛氏は帰国の条件としてミッキーとの日本でのコーヒービジネスを申し出た
日本で コーヒービジネスで ミッキーをリベンジさせたいとの思いからである

先ずは2008年株式会社キオラガーデンを設立し既存のレストラン事業を存続した

次にNZのコーヒーメーカーであるシエラ社とマックスコーヒー社のコーヒー焙煎豆
を販売するフラットホワイトJPを設立し輸入とネットショップを開始

そして既存のレストランに加え福島市内中心部の商業施設内に姉妹店1店と新規事業の
NZスタイル カフェ&ベーカリーケリケリを2010年11月オープンさせた

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ミッキーもNZから福島に入り無事オープニングを終え年明けの2011年5月からは日本に
帰国し事業への本格参入と展開を目指していた最中のこと

先に揺れたのはNZだった 
2011年2月22日M6.3の大震災がNZ第2の都市クライストチャーチを襲ったのだ


幸い当時ミッキーはオークランドに住み日本帰国に向けた自宅の売却についてカフェで
商談中だったが当時勤めていた不動産会社の拠点がクライストチャーチ

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土地の流動化や建物の破壊破損等の処理に翻弄され日本への帰国がままならない状態の
2011年3月11日 忘れもしないあの東日本大震災が発生

福島のパートナー剛氏とは携帯もネットも店舗電話も全く通じない・・・

ようやく地震の全貌が明らかになり始め、その被害の大きさに驚いている最中
更に大きな衝撃が福島原発事故だった

放射能という魔の影はその後の彼らの事業を延々と苦しめ続けることになるのだが大震災の
翌月4月8日のブログでミッキーは必ず日本に帰り福島の復興に参戦する決意を書き綴っていた

しかし事態は日に日に深刻化し私が以前住んでいたいわき市や営業所の担当エリアだった
浜通りはまともに全域が地震と津波と放射能の被災地域である

更に放射能の拡散エリアが当時の風向きや地理条件等で複雑に内陸部に広がりを見せた
ことから福島県全域が風評被害を受ける事態になった

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大型観光施設に併設するバイキングレストランは一番の稼ぎ時でも人は来ない
福島の中心市街地は子供の姿が無くなり高齢者と働くお父さんだけが残った

スタッフの中にも親や親戚を頼り子供を連れ県外に避難移住する人が続出した
オープン半年も満たないカフェ&バイキングケリケリは深刻な存続の危機を感じていた



PS この物語りは彼らから聞き、私は見た記憶だけを綴ったモノです
   事実と異なる事や私の思い違い、聞き違いも一部あると思いますが基本的にノンフィクションです

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by coffeecolors | 2013-06-25 08:39 | コーヒーカラーズ物語


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