COFFEE COLORS ロースター&バリスタ

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2013年 02月 28日

第9話 新町八甲通り店がベーカリー&カフェに

コーヒーカラーズ新町八甲通り店がオープンして4度目の春を迎えた

たった10坪の店内に焙煎、生豆保管、コーヒー豆、器具販売、カフェ営業
全ての工程が見えるように詰め込んだスペースだったが

焙煎機と生豆保管スペースをベイブリッジ店に移し、コーヒー器具や催事用品
什器備品も自宅とベイブリッジ店に分散し保管した

お陰でスッキリとした空間が戻ったある日のこと

お隣のカメラ屋さんの社長さんが声をかけてきて
「3月一杯で移転することにした」更に「お宅で借りれば倍の広さになるョ」

隣も壁を挟んで同じ10坪なので倍になれば客席も10席は増やせる
しかも厨房設備を入れればお食事メニューも充実する

実は構想は既に出来ていた
隣が空いた時の平面図イメージは最初に視察した時に既に頭にあった

パンや焼き菓子を買うことも食べることも出来る
ランチの美味しいベーカリー&カフェ

次のステップとして考えてはいたのだが何しろ毎月がギリギリで貯金は全くたまらない
資金ゼロで店舗拡張の改装や厨房設備への資本投下は出来るはずもない

金融公庫に打診したが、まだ3年の支払いが残っており
昨年もベイブリッジ店への投資で赤字決算にしているので申請が下りず

へんなテナントが入らなければいいのだが・・・

そんな事を考えていたある日、常連の経営者の社長さんから
「隣が空いたら拡張した方が絶対に良いよ、間口が倍になれば売上も倍だ!」

そんなお金なんか無いし誰も貸してくれないことを告げると
「金があるから事業をするんじゃないよ、借りて稼いで返すんだョ」

だから誰も貸してくれないんです、まだ信用が無いようでと言い返したら
「店舗ごと什器備品、機械、厨房設備まとめてリース契約するんだよ」

あっ そうか! その手があったか、しかし問題はリース会社の審査が
通ればの話だが・・・  ダメでもともと当たって砕けろだ。

さっそく店舗に掛かる見積を集めた
パンとお菓子のオーブン&関連設備だけで300万円を超えた
更に客室テーブルや椅子インテリアと照明、壁や床の内装工事でも約100万円
食器、調理道具類も含めれば500万円近い金額になる

どこまでリースの申請が通るかは分からないが思いきってお願いして見たら
ほぼ満額の回答があった

細かな工事や小物は都度少しづつ進めるとして大きなモノは7年間のリースで
借りて稼いで返すことにした

同時に人材教育つまり職人養成だが、幸いスイーツを仕入れている2人のパティシエと
スコーンやビスコッティーを焼いてくれるパン職人にお願いしたら心よく受けてくれた

普通は絶対教えないような技術やレシピをカラーズスタッフに教えてくれるのは
コーヒー販売やカフェ営業の時に私どもが教えてくれたからとのこと

そしてカラーズスタッフはそれぞれの師匠の店に数カ月通い
7月のオープンに向けて新たなチャレンジを始めた

6月中旬には厨房と客室が完成したのがパンやお菓子の設備は7月中旬
取り急ぎホットサンドだけのランチからパスタ、カレー、日替り弁当を加えた

客室もたった12席から24席に増え間口も倍になったことで外席も
4席2テーブルを置くことが出来た

昼時になると隣接する官公庁の女性客が押し寄せ一気に満席になる
それが終わる頃には向かいのデパートに集まる奥様方が入れかわる

飲食の売上げはすぐに倍増した

レシピや段取りが決まるまでの2ヶ月間は私が直接厨房に入り
試行錯誤で新メニュー開発とオペレーションを決めた

そして遅れてパンと焼き菓子の設備が入り各師匠に来て頂き試作、試運転が始まった

毎日毎日が勉強と試作の日々で見る見る店頭がベーカリーカフェの様相に
変わって行くのでお客様も喜んで頂けた

最高品質、最低価格をモットーに手造りにこだわり本物を作ることで
お客様と売上を増やすことが楽しく嬉しい毎日だった 

が、商売はそんなに甘いものではなかった

経営者だけが思い知る「修羅の道」が待っていることを

その時の私は思いもしなかった




次は 第一巻最終 第10話 お客様へお願いと告白 につづく




追伸、この物語はあくまでもフィクションとしてお読みください

あくまでも私のいい加減な記憶だけを書き綴ったものです

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by coffeecolors | 2013-02-28 07:41 | コーヒーカラーズ物語
2013年 02月 27日

第8話 ミッキーがついに来た!

震災から後5日で1年目を迎えようとしていた

その年の冬は12月から豪雪が続き大変な思いをしたが
雪解けは思ったより早く春の訪れを感じていた

朝一番のメールチェックに見慣れない名前、美貴「ヨシタカ」さん?
ニュージーランドに住むミッキーからの初メールだった

「お世話になります」の書き出しからK社長との話や私からの
メールの転送を受けて動かずにはいられない様子が伺える

彼が何故、日本のコーヒー業界を離れて遠いニュージーランドに渡ることになったのか
はそれだけで物語になってしまうほどの信じられないストーリーなのだが・・・

影響力が大きすぎることから今現在、進行中の我々の取組みが日の目を見るまでは
しばらく封印しておきたい



バリスタとしてのキャリアを活かしニュージーランドのフラットホワイトを
日本に伝えたいとのことでスタートしたカフェ事業だが

コーヒーカラーズのコンセプトであるロースター&バリスタ

つまり焙煎というモノ作りから抽出提供のサービスまで一貫して行う
アメリカから派生したサードウエーブスタイルに興味があるらしい

彼のメールはとても熱くピュアーで誠実さを感じるものだった

それからは、何十年も一緒に取組んだパートナーのように焙煎や生豆の選定
買付け、新たな香味創りへの挑戦が福島、青森、ニュージーランドの間で始まった

彼らが取り扱うニュージーランドのMAX COFFEEの焙煎士BENN
から届いた焙煎豆をベースに私なりのベストローストでテイスティングを重ねた

ニュージーランドは10年前程から自家焙煎ブームがあり
100件以上のインディーズロースターが生まれ淘汰されて来たらしいが

そんな中でMAX COFFEEは焙煎豆コンテストで最優秀賞を取ったほどの
素晴らしい感性と技術があった

確かに直火式の焙煎機の割には優しく繊細に仕上げられており技術の高さが伺えた
ミッキーの細かな要請を受けて日本向けのテイストを作って来たらしいが

ベストローストした豆は日本につき店に届く頃にはギトギトのオイルが浮きだす
やや控えめのベターローストでは最高の持ち味を引き出すやや手前なので
どうしても物足りなさを感じてしまう

何よりも問題は1回の発送ロットが少ないと㎏あたりの運賃が嵩み過ぎ
逆に多いと、使い切るまでの時間がかかり過ぎ鮮度に問題が生じる

真剣に取組む程に日本までの距離の問題が明確化するのであった



そして5月 ついにミッキーが来日

「フラットホワイトの伝道師がニュージーランドからついに青森に来る!」

私はコーヒーカラーズを支援応援してくれている5名のパートナーにメールを送った
ベイブリッジ店で、うちのスタッフと総勢10名位のウエルカムパーティーを企画した

それがあれよあれよと言う間に広がり30名以上のカラーズファミリーが
その夜、ベイブリッジ店に集結した

食事や飲み物は私のポケットマネーで揃え会費は1,000円だけのつもりが
これだけの人数では大変な出費になってしまう

そこで皆さんにお願いした、元々シェフやパティシエ、パン職人等のプロ軍団
中にはウエーブデザイナーや食器厨房器具会社の担当者まで揃っているから

ご自分をアピール出来る食事でもお酒でもお菓子でもいいので何か一品持ってきて!
出来ればK社長とミッキーへのプレゼントもお願いします

それが功を奏し超豪華な飲み放題、食べ放題の大宴会となってしまったのだ

来日のご挨拶のつもりで来られた2人はいったい何が始まるのか
少し驚いている様子だったが、乗りの良い2人はすぐに皆に解け込んでいた

お陰で、せっかくの初来店なのにろくに話も聞けたいまま大盛り上がりの
大宴会は夜中まで続いた

せっかく遠くから仕事の話で来たのに失礼かな? とも思ったが・・・

私はただのビジネスとしてではなく共にコーヒーの新たな新時代を開拓する
パートナーとして先ずは人としてのつながり、絆を確かなものにしたかった

翌朝一番からディードリッヒでの焙煎体験、定番品のテイスティングそして
新規事業計画について時間の許す限り話し合った

急遽、午後から弘前に向かうことになったのは昨日の夜、あの大宴会で
知り合ったパティシエSシェフの店を見たいとの申し出からだった

ミッキーとSシェフは共に私より2つ年下、同じ年ということで妙にウマが合ったらしい
「彼の作るスイーツを実際に見てみたい」S社長も自店のスイーツ開発に興味深深だった

弘前の洋菓子店で何品か頂いてSシェフが経営するスイーツカフェに移動した

彼が作るタルトは絶品だ、コーヒーカラーズでも人気のスイーツで
コーヒーにとても良く合う

私は将来的に生地とクリームのベースを供給してもらい自店での焼き立てで提供したいと
考えていたがS社長からも同じ要請があり心よく了承して頂いた

プロ同士のつながりが広がって行くことは招待した私にとってとても嬉しいことだ
本物を作り届けるという同じコンセプトは利害関係を超えた同志のような感覚だった

その夜は青森に帰り昨日とは打って変わって静かで落ち着いた夜を過ごした

津軽割烹 未来

旬の青森県産品食材を使いシンプルだが素材の味を活かした真面目な料理店だ

特に海外帰りのミッキーには喜んでもらえた
青森の四季は日本でも稀なほどにハッキリと変化する

豊かな山の幸、山菜や農産物 そして太平洋、日本海、津軽海峡と
3つの海から取れる豊かな海の幸

静かに優しい味わいの中でこれからの具体的なスケジュールについて
話しながら青森の夜を楽しんだ


「一度ニュージーランドに帰り家や家具を処分して家族を連れて来ます」
12年ぶりの本格的な帰国、人生を 生活をかけた大きなチェンジになるが

絶対に成功させましょう! と誓い合い2人を見送った


次は 第9話  新町八甲通り店がベイカリーカフェに  に続く



追伸、この物語はあくまでもフィクションとしてお読みください

あくまでも私のいい加減な記憶だけを書き綴ったものです

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by coffeecolors | 2013-02-27 11:22 | コーヒーカラーズ物語
2013年 02月 26日

第7話 突然、福島からのお客様

2011年3月11日 14時46分 忘れもしない

神が与えた試練と言うのは厳しすぎる、あの東日本大震災

どれだけ多くの人々の人生を狂わせたのか想像もつかない大きな変化

お世話になった福島県いわき市、仙台市若林区も被災し
私だけが運良く逃げ出して助かったような・・・

チェンジはチャンスと言うが前向きになるには長く苦しい時期を
乗り越えなければならないのだろう

もう少しで震災から1年を迎える2月下旬、そんな事を考えていたら

ベイブリッジ店のカウンターに大柄でラフな格好の男性がご来店され
店内を興味深げに見渡しながらSバリスタに色々質問している様子だ

また県外からのコーヒーマニア君かな?

そう思い様子を伺うと「どうも始めまして!」と丁寧に名刺を渡された
厚手の紙で印象的なお洒落なロゴが印刷されていた

「福島で飲食店を経営していますKと言います」
30代前半かな? 若いが肩書を見ると株式会社代表取締役社長である

話を聞くと福島県で現在2件のレストランと1軒のカフェを経営しており
全国のカフェを訪問しながらコーヒーの勉強をしているとのこと

先月アップしたばかりの当店のHPを見て
興味を持ち、わざわざ遠い青森まで足を伸ばしてくれた

新幹線でのトンボ返りだったので、ゆっくりと話は出来なかったが

「本物を届ける」と言う経営理念の下、良質の美味しい「食」を
自らが長く過ごしたニュージーランドをテーマにカフェを展開したいとのこと

短い時間だったがコーヒーカラーズの取組みに興味を持って下さったらしく
翌日、本物のコーヒー作りに本気で取り組みたい旨のメールを頂いた

最初は焙煎豆を卸して欲しいとの話だったが・・・

彼の話や経緯そしてカフェ事業の仕掛け人でニュージーランドに住む
彼のパートナー「ミッキー」の存在を聞いた時に私の心は動いた

ミッキーのことは間接的には聞いていた

今では日本でも有名なカフェチェーンの第1号店創業当時の経営者の1人だったが
訳あってニュージーランドで永住権を取得し飲食店経営と不動産業をしているらしい

そんなミッキーとK社長は年こそ離れていたがワーキングホリデーを利用し同じ
語学学校で出会い親交を深め10年以上を過ごしてとのこと

カフェビジネスでのリベンジの為に語学力が必要と30歳の年齢ギリギリで
新天地に飛び込んだミッキーの周りは20代前半の若者がほとんどだったようだ

そしてその後、現地の暮らしに馴染んでいたK社長に突然の親からの帰国命令が

父親の会社を清算するにあたり唯一収益性の高い外食事業だけを何とか残し
息子に継がせたいとのことらしい

父親の経営していた社名を聞いて驚いた

たしか? 数年前、本社商品部でバイヤーをしていた頃、挨拶に来られた
ロマンスグレーのダンディーな関東で有名な醸造メーカーの本部長さんだったが

もう1枚の名刺を出され、なぜか肩書きは取締役社長になっていた
「今度、こちらの会社も見ることになりまして」

そう言えばあの時の買収先が・・・

そして、考えた結果ミッキーとのコーヒービジネスを始めることを条件に
日本への帰国し外食事業の会社を設立したのだ

同時にニュージーランドのコーヒーを輸入販売する会社を持ち同国の文化を
カフェと言う形で日本に紹介したい

そんな大きなテーマを覆してまで私のコーヒーに乗り換える想いに至ったのは
やはり「本物を届ける」という理念に真剣に取組んでいる証拠だと思った

しかし彼らのカフェ事業1号店が開店して間もなく、あの大震災があり
福島での事業継続に前の見えない大きな不安を抱えているようだ

開業後すぐに合流する予定だったミッキーもニュージーランドでの
地震による土地の液状化で不動産の仕事に追われていた

日本の震災の前にニュージーランドでも大地震があったことなど
全然知らなかったが2人の人生が大きく揺らいだのは事実だった

そこで震災から1年を迎えようとしている今こそ、本物のコーヒーで
被災地から復興の狼煙を上げようと頑張っているのだった

しかし焙煎したての高品質コーヒーを最良の状態でお客様にご提供するには
輸入コーヒーでは鮮度的にもコスト的にも限界があることに気がついたのだ

私が焙煎したての美味しいコーヒーを委託することは可能だ

が、突き詰めて考えるとニュージーランドが青森に変わっただけではないか?

そんな疑問を彼にぶつけ、自分で焙煎したらどうだ! と言ったら

そんなこと・・・ お願い出来るんですか?! 


そして間もなく2度目の来青、今度は宿泊の予定で来るとのこと
もうすぐ、あの震災から1年が経つ前に次の方向性を決めたいようだ

今までのこと、これからのことお互いの全てをさらけ出し真夜中まで話し合った

出会って2度目とは思えない親密で深い内容を何の警戒も無く素直に真剣に
話し合えることに驚きと運命的なモノを感じた

本物のコーヒーを追求する真摯な心が2人を強い絆で結びつけたのだろう
そして3人目の絆、数カ月後に参戦するニュージーランドのミッキーも

翌日も朝早くからベイブリッジ店、新町店で焙煎、テイステイィング、喫茶営業
しっかりと見ながら新たな事業の方向性を模索しているようだった

そして、その足で前の見えない福島以外の新事業の新天地を視察するとのことで

「次は必ずミッキーと二人で来ます」と元気な声で別れた




次回 第8話 ミッキーがついに来た! に つづく






追伸、この物語はあくまでもフィクションとしてお読みください

あくまでも私のいい加減な記憶だけを書き綴ったものです

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by coffeecolors | 2013-02-26 19:13 | コーヒーカラーズ物語
2013年 02月 25日

第6話 ベイブリッジ店との出会い

決して順風満帆ではなかったが何とか2周年目を迎え3年目に入った9月中旬

今年の夏も暑かった、特に焙煎室はわずか2坪弱、空調は無く外窓を
開けっ放しにしても常に40℃超えでパソコンも悲鳴を上げる

オープン当初比べると焙煎量も3倍近くになり在庫の生豆も10品を超えた
結果、エントランススペースも奥の薪ストーブ周りもコーヒーの麻袋が積まれた

遅かれ早かれこうなることは予測していたのだが、新たな焙煎室を作るほどの
利益は全く出ていない

イベントや催事、コーヒー教室等々声を掛けて頂いた事には積極的に参加したが
その都度、機械、備品、什器等を買い揃えるので利益が残るはずもない

来年からは少しは稼げるかな? と思っていたのだか・・・

ショッピングセンター内でのコーヒー催事を巡回しながら店に戻る車の中で
N社のS社長からの電話が

焙煎室の様子や生豆保管スペース等のことを話していたら
「青森は港町なんだから海辺の使っていない倉庫なんか無いの?」と言われ
少しだけ寄り道することにした

繁華街の海手には水産メーカーやセメント会社の大きな倉庫が並んでいた

とても弱小個人事業者が入るような規模のモノでは無いと感じ
店に戻る為に青森ベイブリッジの側道に入った途端、小さな古い倉庫が数件あった

思えばベイブリッジから海手は埋め立て地だったはず
古い鉄道の線路を挟んで岸壁があった記憶がよみがえる

今や山手の青森中央卸売市場に移った水産会社の多くがトラック輸送の前は
陸奥湾、北海道から水揚げされた魚介類を木箱に氷と塩をかけて貨車に積み込み
鉄道で東京築地まで運んでいたとの話を聞いたことがある

20~30坪位のスペースがあれば、と思いながら進むと
ある1軒の建物に目が止まった

シルバーの外壁、チャコールグレーの鉄骨、打ちっぱなしのコンクリート
全面ガラス張りに小さなアルミ枠のドア

確かにデザインされた建物だったが、驚いたのは中の様子

古い黒茶色の木造天井にガイシで張られた電線
まるでタイムスリップしたかと思うようなノスタルジーな雰囲気だが

周りの壁は真っ白のギャラリースペース、椅子もテーブルも真っ白
モダンデザインとノスタルジーが同居しているようだった

入口には「ギャラリー成幸」と書いてあった

鍵が掛かっており中には人の気配はなかったのでガラスに張り付いて
中の様子を伺っていたら「何か用か」と白髪の男性が声を掛けて来た

私は新町でコーヒー店をしていることを告げると
「おぅ! 知ってるぞ、お宅のコーヒーは旨いよな」と言われた

中に通され椅子に座り焙煎室の話をすると、妙に詳しい

聞けば、ギャラリーの前の店名が「COFFEE IS 成幸」
コーヒーとジャズの専門店だったらしい

奥を見せてもらうと白壁のかげにコーヒーカウンターと食器棚が
更に奥には厨房まであった

そして目を奪われたのがつきあたりのガラス張りには
小さな枯山水庭園、それを愛でる茶室まで付いている

私はダメもとで入口の10坪位だけでも貸してくれませんか?と尋ねると
「どうせ使っていないんだから1階全部、備品も食器も好きなように使っていいぞ」

白壁の撤去や多少の工事は必要だか、すぐにでも喫茶営業出来る物件だった
家賃も格安で気に入らない食器や什器は処分しても良いとのこと

後で聞いたのだが2階に住む建物のオーナーNさんは今まで何人もの人から
貸してくれと頼まれたらしいが決して首を縦に振らなかったらしい

それがコーヒー焙煎の工房をと私が言った途端に、ぐっと身を乗り出し
「すぐにやれるぞ!」と嬉しそうに店の隅から隅まで案内してくれた

聞けば昔の水産品倉庫、空襲で焼け野原になった後にすぐ建てられたらしい
その古い建物を囲むように養生して現代風の鉄骨と外壁にデザインし2階部分を
住居としてリフォームしたとこのことだった

水産会社の役員を退任した後に趣味が高じてコーヒーとジャズの専門店を
オープンしたらしいが色々あり現在は貸しギャラリーとしてたまに使う程度

かなりのコーヒー通らしくコーヒーカラーズのコーヒーを本物と認めてくれており
「お宅になら貸したい」と破格の条件を呑んでくれた

話はトントン拍子に進み、何と翌月10月には焙煎機とエスプレッソマシンを据え付け
焙煎開始とカフェ&ギャラリーのプレオープン

スタッフ教育の後11月にはグランドオープンしてしまった

まだ家計も満足に出せない状態だったが出来るだけお金を掛けず手作業やリサイクルで

数か月を掛けて徐々にコーヒーカラーズの色に変えて行った



次回 第7話 突然、福島からのお客様  に つづく



追伸、この物語はあくまでもフィクションとしてお読みください

あくまでも私のいい加減な記憶だけを書き綴ったものです

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by coffeecolors | 2013-02-25 15:04 | コーヒーカラーズ物語
2013年 02月 25日

観測史上初の豪雪記録の最中に 何で今?

今朝のニュースで全メディアが一斉に伝えたのが

青森市酢ケ湯で日本観測史上初の積雪を記録 でしたが・・・

こんな最中に 何で今? 

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コーヒーカラーズ新町八甲通り店の前は融雪が入っている上に

バス停がありますから私と隣の新町病院除雪隊が1日何回でも
気合いで除雪排雪をしていますので比較的綺麗ですが

周りの歩道や路肩は、うず高い雪の壁になっているのです

良く見ると青く四角いキューブ状の養生シートがズラーッと並んでいるのがわかりますか?
いったい何をしているのかと思ったら、店に工事のお願い文書が来ていました

よーく読んでみると、何と東北電力の埋設ケーブル設備の塗装工事??

なんでも電柱を埋設ケーブルにする為に必要な設備だそうで
直接地面に置くことから定期的な腐食防止工事が必要とのこと

つまり簡単に言うと、さび止めのペンキ塗りですが・・・

普通、ペンキ塗りは春先や秋口の比較的穏やかなお日様の下でやるのが普通ですよね
それがよりによって1年で一番寒くて降雪量の多い2月下旬から3月にかけて

深い雪を掘り除く作業員

足場を組みシートを張る建設業者

歩道の歩行者と作業車両の後ろで車を誘導する警備会社のガードマン

さらに、作業進捗をチェックする電気事業下請会社

大人数の人々ゾロゾロと吹雪の中で街中の設備を回って青い巨大なサイコロを
次々と作っているのです

あれから1週間以上経つのですが未だ塗装作業が進んでいる気配は
全くありません

当然ですよね、真冬日の氷点下でホワイトアウトする位の猛吹雪では
いくらシートで囲っても雪は入るしシートも破け始めましたよ

今週一杯は作業が進まず、また暖気が入れは除雪をしてシートを直し
3月中の穏やかな時期を目指して一斉に塗装を仕上げるのでしょう

つまり簡単に言うと、年度末の予算の使い切り 季節外れの無駄使いです

そして、そのツケは電気料金に上乗せされて皆さんから徴収する税金と同じ
システムなのは原発事故以来の報道で周知されているのですが

なんでも冬場の雇用対策とか下請、孫請け業者への仕事配分とか
行政からの要請とかいろいろあるようですが

最終的に負担するのは住民であることを行政も電気事業者も
全く意識していないのが良く分かりますよね



追伸、お願いですからペンキ塗りは雪が解けてからにして下さい

雪かきの邪魔だし店舗が隠れてハッキリ言って営業妨害です!022.gif

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by coffeecolors | 2013-02-25 12:48 | 日々の出来事
2013年 02月 24日

第5話 ディードリッヒ ついに到着

2008年6月29日 コーヒーカラーズ第一号店オープンの2日前
ついにディードリッヒが青森に到着した

契約後に受注製造なので通常4カ月はかかるのだが、
無理を言って3ヶ月で届けてもらった


話しは少しさかのぼるが、退社を目前にしたある日のこと
ディードリッヒの日本総代理店N社のS社長から電話があり

「おたくのT部長さんと言う方が合いたいって言うんだけどサ」

直属の上司T事業部長がディードリッヒ焙煎機について
お話しを聞きたいとの申し出だそうだ

どうも、社長からの指示らしい

ロースター&カフェの構想を急遽推進する決定があり私が推した
ディードリッヒの導入を本気で考え始めた様子だった

S社長は断る方がいいのではとも言ったが・・・

私としては会社の新機軸として展開すれば必ず将来の展望が開ける
と確信していたので良いことだと思い、その旨だけを伝えた

その後の展開は急だった

私のIR-3より大型の機種を導入し既存の業務スーパーを
ロースター&カフェに改装する計画が一気に進んでいた

少し複雑な気持ちもあったがN社にとっても良い事だし
24年間お世話になった会社に対し少しでも良い足跡になればと思っていた

再び青森の新店前

S社長には本当にご足労をかけっぱなしだった
前日から青森に入り既に東京からの煙突職人2人と合流していた

コンテナから厳重に木枠で梱包されたディードリッヒがウインチで
始めて青森の街に下ろされた

そこからの作業は手早いもので見る見るうちに木枠が外され台車で
焙煎室に運ばれ排煙設備と接続された

都市ガスの規格が合わないトラブルはあったが急遽LPガスを手配し
テスト焙煎が始まった

先ずは一気に高温でダークローストまで焼き上げ窯の内部にコーヒーの
オイルをしみ込ませる

そしていよいよ初焙煎開始

1坪半くらいの極めて狭いコーヒー工房から青森の中心市街地に
コーヒーの香ばしい香りが流れ出した

感慨に浸っている暇はない、明日にはショーケースが入り明後日は
オープン初日、どんどん焙煎仕上げなければ間に合わない

新装改築した新店舗の床ワックスや塗装の匂いからコーヒー専門店の
香りに徐々に変わっていくのが良く分かる

出来たての焙煎豆をテイスティングすると、焼き立てで軽やかな味だが
クリアーでスムージー、甘みも申し分ない

数日後にはコクと深みが増し最高の状態になることがハッキリと分かる
本当に美味しいコーヒーだった

「オープン初日は、まだ少し軽めかな?」と思ったがフレッシュな感じが
コーヒーカラーズの船出に良く合うと自分自身に言い聞かせていた


次回 第6話 ベイブリッジ店との出会い に つづく




追伸、この物語はあくまでもフィクションとしてお読みください

あくまでも私のいい加減な記憶だけを書き綴ったものです

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by coffeecolors | 2013-02-24 08:49 | コーヒーカラーズ物語
2013年 02月 24日

2月24日(日)貸切りパーティーのお知らせです

本日2月24日(日)午後5時より

新町八甲通り店は 街COMin青森

青森ベイブリッジ店は LIVE のため貸切となります
※LIVEは1ドリンク500円で入場OK

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追伸、両店ともに喫茶営業のラストオーダーは午後4時となりますので宜しくお願いします040.gif
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by coffeecolors | 2013-02-24 07:58 | お知らせ
2013年 02月 23日

第4話 再び渋谷へ

深夜2時 青森市内、待ち合わせの場所に車で向かう

相手はS君、高校の1つ後輩で20代前半をスキーやサーフィンで
一緒に過ごしたが私の関東への転勤以降は数回しか会っていなかった

店舗BGMとセキュリティーの相談をしていたがコーヒーに興味があるらしい
「今度の土日月3日間東京に遊びに行かないか?」と誘ってみた

渋谷区の中でも都心とは思えない閑静な住宅街の中にN社はあった

一度目の訪問は3月、仙台から高速バスでボストンバックに生豆を詰め込んで
1人で伺いS社長と初めてお会いした

ディードリッヒ焙煎機のセミナー申し込みは会社名、所属、役職をそのまま
記載していたので東北の中堅ロースター企業の店舗開発担当者だと思ったらしい

「どの位のサイズの焙煎機をお探しですか?」と聞かれたが・・・

ディードリッヒ社は工場用大型の500kg近い焙煎機から
1kgのテストロースターまでラインナップがある

私は恐る恐る「実は、会社で使うんじゃないんです」と言いだした

S社長は、ちょっと驚いたようだが、そのまま続け
「私個人で小さな自家焙煎店をやりたいと思って・・・」

そしたらS社長の表情が一瞬に緩み「そうですが、それはそれは」
と妙に嬉しそうにほほ笑むのです

その後は時間を忘れてコーヒー業界の事やスペシャルティーコーヒーの
方向性や可能性、そして小さなコーヒー屋こそが良いコーヒーを作り広げる

そんな話で意気投合し、そのまま焙煎機のレクチャーに入った

そして今度は4月、青森に帰郷し自宅で開業準備を始めたが
開業準備中もコーヒー豆が欲しいので再度テスト焙煎のお願いをした

既にディードリッヒの契約は済ませていたので快く3日間も
ショールームを貸してくれた

一睡もしないまま初日、朝9時に事務所に伺ったところ
早速移動しましょうと前とは別のアトリエに招待された

マンション1階の1室だったが中に入るとディードリッヒ12kg焙煎機が
ドカッと鎮座しエスプレッソマシンが数台並んでいた

そして奥から挨拶に出て来たのが未だ20代後半かなと思うような
今時の若者、小柄だが妙に筋肉質でしまった体?

すぐには思いだせなかったが社長の息子さんKさんと紹介された

そうだ、2004年の展示会場でお会いしたあの若者だ

そして間もなく出されたカフェラテに驚いた

シルキーでベルベット、大理石のマーブルみたいな艶のラインハート
そして1口飲んだらコーヒーのコクとミルクフォームの素晴らしいハーモニー

それもそのはずスペインエキスポバル社の専任バリスタでSCAA
カッピングジャッジの資格を持つプロのインストラクターだった

私の今回の目的はディードリッヒでの焙煎で何種類かのプロファイルを試すこと
だったがエスプレッソマシンもいくらでも使って良いと言われた

最初はエスプレッソにはあまり興味が無かった

コーヒーの苦手な若年層の客様の取り込みに必要かな?と思ったくらいで
でも、本物のラテアートを目前にしてから少し考え方が変わっていた

何より影響を受けたのが同行したS君、本当は挨拶したら後は渋谷で
趣味の釣りアウトドア専門店巡りの予定だったが

目の前で熱く語られるコーヒー談議や焙煎機、エスプレッソマシンの
トレーニングにすっかり感化されたようで

気がつけば3日間ショールームに缶詰状態でエスプレッソマシンと格闘し
最終日になっても納得がいかない負けづ嫌いの2人はS社長にお願いし

デモ機の2連エスプレッソマシンとWBC世界大会公認グラインダーを
譲り受けそのまま自家用車の後部座席に積み込んで青森に帰りついた

青森の自宅に帰り茶の間の隣にある8畳の空き部屋にテーブルを重ねて
即席のカウンターを作りエスプレッソマシンを置いた

給水は20Lポリタンク、排水はバケツで専用のタンパーなんて青森の
何処を探しても見つからずインターネットで注文したが

しばらくはプリン金型の底を利用し1日10本以上の牛乳を捨てながら
ミルクフォームの特訓を続けた

「ロースター&バリスタ」コーヒー職人が作る世界水準の品質と香味

7月のオープンに向けマシンと格闘し続けた


次は第5話  ディードリッヒ ついに到着 に つづく




追伸、この物語はあくまでもフィクションとしてお読みください

あくまでも私のいい加減な記憶だけを書き綴ったものです

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by coffeecolors | 2013-02-23 09:02 | コーヒーカラーズ物語
2013年 02月 22日

第3話 青森への帰郷

退社日が決まった  3月30日 

溜まりに溜まった有給消化もあったが

それより少しでも早く退職金を元手に公庫への申請や物件の
契約を進めたかったので4月から完全にフリーになりたかった

3月に入り無理は承知で例の上司 T事業部長に
「来週末から4日連休頂きたいのですが?」とお願いした

青森は故郷ではあるが最近の状況が殆ど分からないので
出来るだけ早めに実際の市場や物件を見ておきたかった

週休2日の会社だったが我が事業部は年中無休体制で休日も
早朝深夜も関係なしに上司であるT事業部長の指示が飛ぶ

「赤字の事業部が権利なんか主張するな寝ないで働け!」

「ギフト予算必達、足りない分は自分で買え!」

当時は完全なパワハラだと思っていたが・・・


「おぅ 良いよ、たまにはゆっくり親孝行でもして来い」 ??

そう言えば最近、自分の母親の介護の話や
昔の苦しかった頃の話を良くするようになった

彼は会社でも変った経歴を持っていた

若い頃に一度退社し飲食店を数店舗起業したらしいが
失敗し借金を作って出戻りで再入社したとのこと

「金が無くて、出戻りで先輩たちにいじめられてナ」
一度酒が入った時に涙をにじませて話した

そんな彼は部下や同僚からは嫌われたが
社長、会長、専務つまり経営トップはらは信頼された

「上の顔色ばかり伺う点数稼ぎ」などと言われたが

今、考えれば経営者の本音を知っていたのだろう

最終責任を取らなければならない
いい加減な判断は一切できない修羅の道・・・

それを知っているからこそ甘えや妥協を許さない姿勢と
極論のような厳しい言動

私と経営者の中に入り盾となりブレーキやアクセル役になったのは
今考えると、彼らの厳しい判断から私を守っていたのかも知れない

そんな想いも未だ気がつかなかった私は

何か、素っ気ない印象のまま、その週末に一路青森へ


4日間と言う時間はかなり余裕のあるスケジュールの予定だった
会いたい人、ゆっくりと話したいことは山ほどあった

物件もほぼ決まっていたが、見れる限りは見たいと思っていたのだが・・・

何と到着して一晩休んだ翌朝のこと

39度を超す高熱でダウンしそのまま3日間寝込んでしまった

ろくな休みも無しに緊張の中で働き続けたので妙な解放感からか
ひどい風邪にかかってしまっていた

ようやく熱がひき何とか外出できるようになったのがラスト一日

先ずは約束していた不動産会社の担当者と会い数件の物件を見た

その足で金融公庫で融資の申請を済ませ、最後に店舗設計の
デザイナーと会った。

夕方ギリギリまで青森に滞在し、真夜中に仙台の自宅に戻った

相談したい友達や知り合いとは話が出来なかったが
今考えれば、その方が良かったと思う

その時私は既に1人で修羅の道を歩き始めていたのだから

実質1日しか動けなかったが無駄のない貴重な1日となった


次回 第4話 再び渋谷へ に つづく


追伸、この物語はあくまでもフィクションとしてお読みください

あくまでも私のいい加減な記憶だけを書き綴ったものです

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by coffeecolors | 2013-02-22 13:35 | コーヒーカラーズ物語
2013年 02月 22日

池の鯉が・・・ 冬眠中です

先日、元気に跳ねたあの鯉君が・・・

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完全に雪の下、まさに冬眠中です

枯山水の庭が約2mの雪に埋もれてしまいました

今朝の全国TVトップニュースは

青森市 酢ケ湯 で観測史上初5m15cmの積雪ですが

酢ケ湯は確かに住所は青森ですが・・・

県外の皆様! 八甲田山の上の一軒宿の温泉地です

東京都民が小笠原の天気を引き合いに出されている
ようなものですからくれぐれもご心配なく

ちなみに青森市のアメダス観測地点での今朝9時の積雪は
120㎝ですから昨年の雪かきや雪下ろしと比べると楽なんです

それに比べて平年40㎝位しか積もらない弘前が130㎝オーバーで
除排雪も間に合わない非常事態らしいですョ

うちの長男は毎日弘前の専門学校に通っていますが
今朝もJRがストップして代行バスを待っていました

平年の3倍以上の積雪ではなかなか対応できないですよね


追伸、昨日からベイブリッジ店のバリスタS君が風邪でダウンしています

O工場長と私の2人で何とかしていますが夕方は新町店に移動しなければ
ならず、しばらくの間午後4時オーダーストップし4時30分閉店となります

インフルエンザでなければ数日中に復帰出来ると思いますが・・・008.gif
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by coffeecolors | 2013-02-22 09:51 | 日々の出来事