2013年 02月 22日
退社日が決まった 3月30日 溜まりに溜まった有給消化もあったが それより少しでも早く退職金を元手に公庫への申請や物件の 契約を進めたかったので4月から完全にフリーになりたかった 3月に入り無理は承知で例の上司 T事業部長に 「来週末から4日連休頂きたいのですが?」とお願いした 青森は故郷ではあるが最近の状況が殆ど分からないので 出来るだけ早めに実際の市場や物件を見ておきたかった 週休2日の会社だったが我が事業部は年中無休体制で休日も 早朝深夜も関係なしに上司であるT事業部長の指示が飛ぶ 「赤字の事業部が権利なんか主張するな寝ないで働け!」 「ギフト予算必達、足りない分は自分で買え!」 当時は完全なパワハラだと思っていたが・・・ 「おぅ 良いよ、たまにはゆっくり親孝行でもして来い」 ?? そう言えば最近、自分の母親の介護の話や 昔の苦しかった頃の話を良くするようになった 彼は会社でも変った経歴を持っていた 若い頃に一度退社し飲食店を数店舗起業したらしいが 失敗し借金を作って出戻りで再入社したとのこと 「金が無くて、出戻りで先輩たちにいじめられてナ」 一度酒が入った時に涙をにじませて話した そんな彼は部下や同僚からは嫌われたが 社長、会長、専務つまり経営トップはらは信頼された 「上の顔色ばかり伺う点数稼ぎ」などと言われたが 今、考えれば経営者の本音を知っていたのだろう 最終責任を取らなければならない いい加減な判断は一切できない修羅の道・・・ それを知っているからこそ甘えや妥協を許さない姿勢と 極論のような厳しい言動 私と経営者の中に入り盾となりブレーキやアクセル役になったのは 今考えると、彼らの厳しい判断から私を守っていたのかも知れない そんな想いも未だ気がつかなかった私は 何か、素っ気ない印象のまま、その週末に一路青森へ 4日間と言う時間はかなり余裕のあるスケジュールの予定だった 会いたい人、ゆっくりと話したいことは山ほどあった 物件もほぼ決まっていたが、見れる限りは見たいと思っていたのだが・・・ 何と到着して一晩休んだ翌朝のこと 39度を超す高熱でダウンしそのまま3日間寝込んでしまった ろくな休みも無しに緊張の中で働き続けたので妙な解放感からか ひどい風邪にかかってしまっていた ようやく熱がひき何とか外出できるようになったのがラスト一日 先ずは約束していた不動産会社の担当者と会い数件の物件を見た その足で金融公庫で融資の申請を済ませ、最後に店舗設計の デザイナーと会った。 夕方ギリギリまで青森に滞在し、真夜中に仙台の自宅に戻った 相談したい友達や知り合いとは話が出来なかったが 今考えれば、その方が良かったと思う その時私は既に1人で修羅の道を歩き始めていたのだから 実質1日しか動けなかったが無駄のない貴重な1日となった 次回 第4話 再び渋谷へ に つづく 追伸、この物語はあくまでもフィクションとしてお読みください あくまでも私のいい加減な記憶だけを書き綴ったものです
by coffeecolors
| 2013-02-22 13:35
| コーヒーカラーズ物語
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